コンセプト・歴史

コンセプト

DAITOKYO&CITYは「美を愉しむ」を
テーマに老舗だからできるコト
伝えられるコト
真のサービスを考えました

DAITOKYO&CITYは「あなたらしい美」のお手伝いをしている3つのビューティーサロン。

男性の容姿を整える Men's大東京
女性の美を叶える CITY美容室
素肌を甦らせる シェービングエステサロン CITY SPA

理容・美容の本当の魅力を伝えたい
容姿を美しく整えること それだけではない
“一人ひとりのライフスタイルやマインドに合った、「あなたらしい美」を一緒にみつけたい……”
そんな想いを込めて、皆さまのお手伝いができたなら私たちは幸せです

「ありがとう」を伝えたいから
「私たちができること」を与えたい

永く愛され、受け継がれてゆくために、ゆっくりと真面目に歩んでおります

”すべてはお客様のために”
それがDAITOKYO&CITYの信念であります

当サロンは親子何世代にも渡り足を運んでいただいているサロンです

DAITOKYO&CITYのこだわり

  • 01

    私たちはカウンセリングを大切にし、一人一人のお客様にあったメニュー提案にこだわっています。

  • 02

    トータルケアの考えから、家族皆様でご利用いただけるよう、目的に合ったサロン選びができます。3店舗からお好きなサロンをご利用ください。

  • 03

    おもてなしの心を大切に、きめ細やかな接客に心を配ります。心のこもった施術とともにホスピタリティーな心地よさをご提供しています。

店舗紹介

Men’s大東京

男性のためのヘア&フェイシャルサロン。カットはもちろん頭皮ケアからエステ、シェーブまでメンズメニューが豊富。ジャズが流れる開放的な空間とおしゃれなメンズスタイルが自慢のサロンです。

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CITY美容室

女性がくつろげるアットホームなぬくもりのあるサロン。ヘアはもちろん、着付けやアップスタイルが思いのままに楽しめます。

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シェービングエステサロン
CITY SPA

きめ細やかなシェービングは肌質までをも変えてしまいます。心地よさと素肌美を提供する女性のためのシェービングエステサロンです。

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DAITOKYO STORY

創業者 岩下 純吉

明治41年10月15日鹿児島県で兄弟7人の次男、岩下純吉として生まれる。職業は理容師となる。昭和8年12月21日に目黒区祐天寺に「理髪大東京」を開店。モーニングサービス、店内総ガラス、理美容院初の完全冷房完備の理容室をオープン。 日本初の収納式前流しを発明、たくさんのアイディアを出し名実ともに東京一となる。その後、武蔵小杉店、武蔵新城店をオープン。晩年は、大好きなお花(カトレア、ランなど)に囲まれ余生を楽しんだ。(03年、95歳没)

二代目 岩下 巖

岩下 純吉の三男として生まれる。2代目として本店の祐天寺店を任される。昭和59年12月「理髪大東京」を「ヘアーサロン大東京」にリニューアルオープン。また翌年に「CITY美容室」をオープンさせる。トータルビューティの考えからレディースシェービングも出来るエステ室を平成12年にオープンさせ、今もなお顧客からの支持が強い。

三代目  岩下 誠

岩下 巖の長男として生まれる。大学在学中に理容、美容の免許を取得。卒業後は、都内1店舗を経て、01年11月大手美容室に就職し、07年に大東京に帰ってくる。翌年08年12月「ヘアーサロン大東京」をメンズに特化したワンランク上の理容サロン「Men’s大東京」としてリニューアル。さらに女性のお顔剃りのニーズから幅広いシェービングメニューを揃えた「シェービングエステサロン CITY SPA」 をオープンさせる。現在、Men’s大東京、CITY美容室の店長としてサロンを支え、若手の指導に力を注いでいる。

これまでの歩み

  • 1930’s
  • 1940’s
  • 1950’s
  • 1960-70’s
  • 1980-90’s
  • 2000~
1930’s
  • 『理髪大東京』の誕生

    店名の由来――― ニュー東京~大東京サツマと色々考えたが、この年 東京市と市外の渋谷・世田谷・大森・練馬・ 江戸川等が編入され23区と大きくなり、東京都を「大東京」と呼ぶようなったので、それを記念して店名を「大東京 」とした。目黒は昨年迄、荏原郡目黒町だった。知人が店名は大きい方が良いと言うので決心した。 昭和8年(1933年)12月21日祐天寺駅前に開店。その時の技術者の数は、5名。 カット椅子の数5台。この年は、大東京の記念すべき第一歩となる。

  • 東京での初の試み
    “モーニングサービス”

    初めての夏、店内にまずデパートで宣伝していた氷柱を立てた。そして東京で最初の試みとしてモーニングサービスをおこなった。モーニングサービスとは、早朝の涼しい内に清涼高級化粧品を使い、心地良く涼しくなっていただくサービスだ。モーニング服を着た理容師が接客をする。冷房器具などないため、早い時間に営業をしたりと、今で言う企業努力をしていた。チラシ広告を出し、駅のホームに野立て看板を5本出し、非常に効果を得た。お店の通りは昭和50年まで「大東京通り」(現 南通り)と呼ばれ賑わった。

  • 開店1周年

    開店1周年記念に屋上に万国旗とサイレン、スピーカーを付けた。朝、駅に何かっていろいろな放送をした。朝、昼、3時、6時にサイレンを鳴らして途端に有名に成った。又、子供が遊びに出て帰らないので大東京のサイレンが鳴ったら帰っていらっしゃいとの事で喜ぶ母親もいたほど。 開店1~2年頃サイレンと共に大東京は有名となった。先々代は、この早い時期(戦前大変な時代)から経営者としての自分のビジョン (経営目標)をしっかりと持っていた。

  • 開店2周年

    広告の偉大さも経験し、駅の野立看板を日吉駅までに6ヶ所出した。それからチラシ新聞折り込みを年に3回から4回、1回に2~3万枚(西小山から三宿方面まで)出した。お店が大繁盛し、店内を改造して椅子を5台から7台にした。

1940’s
  • 大改造

    さらにお店の大改装をおこない椅子9台にした。年配のお客様に「お店の椅子を10台にしたいのですよ」とお話したところ、「9台にしなさい、(10台にすると)10は満つるので満ちたものはかけると教えてくれたので9台にした。それでも大きさでは東京1番になった。

  • 大東亜戦争のはじまり

    大東亜戦争がはじまり、男子は戦地、軍需工場へ徴用されて店員は1人も居なくなり、自分ひとりとなった。朝8時には店前に5~6人待っており、一日中お客様が押しかけ大変な思いをした。
    昭和19年(1944年)春ごろから空襲がたまにあるようになった。灯火管制で住宅もお店も夜は灯がつけられず、お店は黒のカーテンを張って営業した。

  • 終戦

    終戦をむかえた。― まずは生きることと 家とお店がなくては資金が稼げない ―――疎開後地に仮営業所を建てなければならないと思い、役所の建築課に日参してお願いに行った。なかなか許可がおりなかったが、「バラックを何時でも立ち退きます」と一筆かかされなんとか許可してくれることになった。そして昭和21年(1946年)2月末にバラックのお店を開業できなんとか生活できるようになった。その時の椅子は5台。戦争で10年後戻りした

1950’s
  • 上野 松坂屋の冷房

    本建築の許可が下り、椅子9台のお店となった。大東京の三大特徴は、①第一級の優秀技術者が揃っています②御客様御一人名毎に調髪器具を完全消毒を致しております③大設備に付き待つことなく心ゆくまで御調髪の爽快感に浸りきって頂けます。そして東京一番の大店舗となった。

    それから2年経ったある日、上野の松坂屋で冷房の広告を見て見学に行った。入口のウィンドウとドアが縁なしの総ガラスではないか……。そして店内に入ったところヒヤッと、まさに氷山の一角にいるような思いだった。これは初めて冷房の部屋に入った時の感想だ。

  • 武蔵小杉店開店

    新興途上にある東横線武蔵小杉駅前に支店として開店した。衛生と技術に最新設備を揃え最もお客様の理想に近い理髪大東京が生まれました。近代人の理髪の殿堂として人気を博しました。

  • 武蔵新城店開店

    ハイクラスの新設備が整った新店を国鉄南武線の武蔵新城駅前に開店した。チラシにハイクラスの新設備「オール一流男子理容師が揃いました」と……。祐天寺本店で仕上がった弟子たちを送りこみお店は大盛況だった。

  • 祐天寺本店 外装リニューアル

    外装を総ガラスにリニューアルした。自分で書いた設計図を工事屋へ見てもらったところ、「ここまではちょっとなぁ……」と渋っていたが、よその真似をできないことをやりたいという思いで、当時、総ガラスのドア17万円、表の総ガラス(縁なし)55万円かけて仕上げた。そのころのサラリーマン月8千円~1万円くらいの頃(理髪代100円くらいの頃)。

  • 完全冷房完備

    次は冷房を取り入れた。工事は95万円かかって終わった。この頃冷房が入っているのはデパートくらいで理髪店や喫茶店ではまだ初めてのことだった。さあ大変なことが起こった。氷山の一角に立つという大東京の『完全冷房』の広告チラシを3万枚新聞折り込みしたところ、お客様が毎日待合室に入りきれないほど来て、2時間くらい平気で待って、大繁盛したものだった。

1960-70’s
  • 大東京会発足

    創業者(岩下純吉)の理容への思いや信念、考え方に同感して、昭和39年(1964年)に理髪大東京卒業生が経営や技術の勉強会をしたり交流を深めること目的とする会を発足させ、理容界の発展に力を注いだ。

  • 武蔵小杉店本建築

    武蔵小杉店は、理容椅子5台の駅前にあるバラックだったので、この年本建築し椅子9台にした。祐天寺本店で技術を仕上げたバリバリの職人を送り、繁盛した。

  • 理髪大東京外観と店内リニューアル

    開店からの丸いデザインの鏡からスタイリッシュな鏡に変え、9台の理容椅子も全て新設しリニューアルさせた。JBLのスピーカーも導入し音響にもこだわった。そしてチャンピオンを獲った優秀理容師を10数名揃え、高級感のある理容室へリニューアルさせた。

  • 大ラジコンレース大会開催

    昭和51年12月18日(1976年)に「理髪大東京通り」が新しく「南通り」として生まれ変わったことを記念して、実物1/8のスケールのラジコンを「理髪大東京通り 」で走らせた。子供たちにはスーパカーの写真を差し上げ、大変喜ばれた。

1980-90’s
  • 祐天寺本店新築ビル

    祐天寺本店の古いお店を33年降りに新築した。店名を「理髪大東京」から「ヘアーサロン大東京」にし、昭和8年の開店日と同じ12月21日にリニューアルオープンした。この時、理容椅子9台。時代の流れから、職人(10年以上のベテラン)がいなくなり、開店当初からのシステムを変え、若手(見習いから)を雇用し教育に力を注いでいった。

  • CITY美容室オープン

    これからの時代、理容だけではだめだ。ヘアービジネスという考えから、トータル的にヘアをプロデュースしなくてはならない。理容だけに固執しないためにと、この年ヘアーサロン大東京2階に美容室をオープンさせた。

  • 理髪大東京武蔵小杉店内装

    クラシックなバーバーサロンにリニューアル。バーバー椅子の間隔もあけ、スペースを最大限に活用し、寛げる空間にしました。

  • CITY美容室内装&
    スーパーストレート導入

    やさしいアットホームな雰囲気にサロン内を一新。まったく新しいストレートパーマ スーパーストレートを導入。1日15~20名CITY美容室に駆けつけてくれた。最高の仕上がりに涙するお客様がいたほどだ。

  • ヘアーサロン大東京内装

    1台ゆとりスペースをつくり、理容椅子8台に。車椅子のお客様のカットもできるようにバリアフリースペースもつくる。シャンプーボウルも青色にし、大東京のイメージカラーをブルーに統一した。

2000~
  • CITY美容室にエステ室を併設

    トータルビューティーの考えが広がり、お客様から「美容室でも顔を剃れないの?」というお声を多くいただき、顔剃りができるエステ室をオープンさせる(※顔剃りは理容技術のため理容スタッフが行う)。他のお客様から見えないよう個室にし、お客様に大変喜ばれた。

  • シェービングエステサロン
    CITY SPA オープン

    さらにレディースシェービングに特化したサロンをという思いから、シェービングメニューを数多く取り揃えた「シェービングエステサロン CITY SPA」をオープンさせる。お顔剃りだけに留まらず、ボディーシェービングやエステメニューを加え、ブライダルからデイリーケアまで、幅広く対応したメニューが人気を呼んでいる。

  • 開店80周年

    80年を振り返り、大東京開店から現代までの写真やチラシを1冊にまとめた「大東京の素顔」を作成。大東京を長年ご利用頂いているお客様に大変喜ばれている。昔の大東京を懐かしく感じていただけるよう店内には写真を飾り、道具を展示した。古きよき伝統を大切にしながらも、常に新しいサービスに目を向ける姿勢は今も昔も変わらず、若いお客様に喜ばれ、次の世代へと受け継がれている。

  • 男性のための
    グルーミングエステ誕生

    男性の肌を考えた本格シェービングとメンズエステが融合した独自メニューを開発。古い角質を除去し、ツルツルの素肌を実感でき、また剃刀で耳や鼻の産毛も丁寧に剃り、眉カット&デザインシェーブも行う。男性にとって最高の肌のお手入れとなる。肌に優しい化粧品を厳選する等、ブライダルメニューとしても人気を得ている。

「参考文献」 私の履歴書 岩下 純吉著
「写真」 大東京の素顔ーDAITOKYO STORY 八十年の覚醒ー